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やらまいか大使

やらまいか大使メッセージ

袴田吉彦さんからのメッセージ

袴田吉彦/俳優20代の頃、浜松まつりに参加したときに大勢の人達に胴上げをしてもらった事がある。
僕の為に本当に沢山の人が集まってくれて、近くの境内で”ガンバレ!”と胴上げをしてくれた。
離れていても、僕には浜松の皆がついてくれているんだと実感した瞬間だった。

皆が祭りに懸ける思いや、何にも代え難いこの経験は、僕を動かす原動力となってくれている気がする。
なかなか浜松に帰る事ができなくても、支えになってくれている。
そんな、『浜松魂』が忘れられない。
袴田吉彦/俳優

■出身地
静岡県浜松市
■略歴
1991年度ジュノン・スーパーボーイ・グランプリ受賞、1993年度毎日映画コンクール・スポニチグランプリ新人賞受賞。
テレビ、映画、舞台など多方面で活躍中。

鈴木重子さんからのメッセージ

鈴木重子/ヴォーカリスト生まれた日のことを、覚えていますか?
小さな手に、運命と夢をにぎりしめて、広い世界に漕ぎ出した日のことを。
私の手のなかには今も、その感触が残っています。
あたたかな、かすかな、ひかりのふるえ。

生まれたその日から、私が触れたものすべてが、
今の私を作っています。
遠州灘の潮が運んだ、風のにおい、
三方原のお日さまがほっこりさせた、やわらかな土、
空に向かって、枝を伸ばす木々のみどり、
大切なひとの笑顔。

私は、生きたい。
私は、満ちて広がりたい。
私は、分かち合いたい。

私をいつくしんでくれたひとたちとともに、
私をはぐくんでくれた、ふるさと、浜松で。
 
鈴木重子/ヴォーカリスト

■出身地
静岡県浜松市
■略歴
東京大学在学中、本格的にボサノヴァ、ジャズヴォーカルを習い、司法試験への挑戦と、ジャズクラブでの活動を続けながら、自身の歩む道を模索。「本当に好きなことをして、限りある人生を生きよう」とヴォーカリストの道を選択。95年、メジャーデビュー。ニューヨーク「ブルーノート」で日本人ヴォーカリストとして初のライブ公演。以後、多くの作品を発表。NEW!わかふじ国体イメージソングや「愛・地球博」公式コンピレーションアルバム”Love the Earth”に参加。すべての生命に響き合う唄を求めて、病院、学校、福祉施設などに活動の場を広げている。

斉木しげるさんからのメッセージ

斉木しげる/俳優「浜松は我がふる里」
ああそうか、空気が違うんだ、と思った。
浜松に帰ってくるたびに、このなつかしさは何なのだと思っていた。「子供の頃の思い出がよみがえるからか」などと考えていたのだが、ふる里がふる里である由縁は、実は「空気」ではないのかと最近思うようになった。
具体的な香り、山や河や、田や畑、草や木や花といったものでは決してない。空気そのものの質感とでもいったらいいのか。
浜松という地をおおう大気、その柔らかさ、丸味、もっと言えば、その中で包まれながら生きる暖かさ、やさしさなのか。
この地で生まれ育った者のみが感ずる恩恵。それが自分のふる里。
大海の中で鮭は、己れの川を探しあてると云う。
人間も原初の本能を少なからず残しているような気がする。それが故郷への想い、故郷ならではの大気への想いなのではないだろうか。
東京の地で暮し40数年。今でも私は、浜松の匂いを想い出すことができる。
大きな市になった浜松。私の子供の頃の数倍の天地だ。
素晴らしき自然に恵まれ、その中で育まれた数多くの文化に触れたく、今度じっくり大浜松を散策したいものだと心から思う。故郷の大気にくるまれながら。
斉木しげる/俳優

■出身地
静岡県浜松市
■略歴
早稲田大学在学中より演劇活動に励み、俳優小劇場養成所を経て、大竹まこと・きたろうとコントグループ“シティボーイズ”を結成。スピード感と不条理哲学文学・社会問題等を次々とギャグで笑い倒してゆく「コント」の枠をはずれたラジカルな笑いのスタンスを確立。現在ドラマ・映画・司会・ナレーション等、多方面で活躍中。

松本志のぶさんからのメッセージ

松本志のぶ/フリーアナウンサーある日、「快晴です!」とだけ書かれたメールが同僚から届きました。なんだろうと思って添付写真を開くと、そこに映るは水面も輝く大きな湖。ロープウエイ。こじんまりとした町並みの向こうに大海原も広がっています。これはまさか、大草山から見た舘山寺温泉エリアなのでは?そう、まさに子供のころから見慣れた美しい浜名湖の景色!
「どうして浜松にいるの!?」と質問すると、「子供を遊ばせたくて♪」と言う答え。やっと取れた3連休を、親子3人浜松で過ごしていたのだそう。温泉に入って、うなぎを食べて、うなぎパイ工場も見学して?東京から近い浜松は、子供と一緒に過ごす休日に最適なのかもしれません。
次に送られてきたメールのタイトルは「問題」。たくさんの飛行機が映った写真を添えて、メッセージは「ここはどこでしょう?」。うーん、これは私も行ったことがない場所です。聞けば、航空自衛隊の見学コースで、飛行機を目の前にした小学生の息子が大興奮していたのだとか。
最近では“ふぐ”を食べられたり、ガーベラやブルーベリーの畑にお邪魔できたり、浜松のオススメは季節ごとにも様々です。生まれ育った私も知らない楽しみがまだまだたくさんあるようで、より一層の研究(?)が必要だわ?、と改めて感じているほど。
住む人も訪れる人も、大人も子供も満足の味わい深い町。こんなふるさとを持った私は、とんでもない幸せ者と言えますね。
 
松本志のぶ/フリーアナウンサー

■出身地
静岡県浜松市
■略歴
上智大学外国語学部卒。
日本テレビ入社(1992年)後、2001年から2004年まで「24時間テレビ『愛は地球を救う』」の総合司会を務める。
現在「行列のできる法律相談所」にレギュラー出演。
2009年3月31日で日本テレビを退社し、現在フリーアナウンサーとして幅広く活躍中。

村松崇継さんからのメッセージ

村松崇継/作曲家・ピアニスト浜松で生まれ、育ち、浜松を離れ、早12年が経ちました。最近、雑誌の取材なので、記者の方から、「ご出身はどこですか?」と聞かれ「浜松です。」と答えると、ほとんどの記者さんは、「ほおっ なるほど そうでしたか。」とみなさん頷きます。作曲家として活動していくなかで、こうして音楽の街として全国に定着した浜松という街の出身ということは、自分にとって一つの強味になっています。
浜松の東区市野町で生まれた僕は幼稚園から音楽を習い始めたのですが、今考えたら本当に恵まれた音楽環境の中で音楽を学ぶことができました。音楽を学んでいくなかで自分の周りには常に、共に切磋琢磨できる優秀なライバルたちがいました。今の自分がいるのも音楽の基礎を浜松で学べたことによって形成されました。
浜松という街には、本当にすごい可能性を感じます。この街を音楽の街として輝かせているものは、きっと市民の方々の音楽の街作りという意識の高さ、そして見えない努力なんだと思います。自分もいつかそんな浜松に恩返しができるように、日々、浜松出身の作曲家・ピアニストとして誇りに思い、頑張り続けたいと思います。
 
村松崇継/作曲家・ピアニスト

■出身地
静岡県浜松市
■略歴
国立音楽大学作曲学科主席卒業。
2001年に映画『狗神』、2003年には『突入せよ浅間山荘事件』の音楽を手掛け、2004年にはNHK連続テレビ小説『天花』の音楽を歴代史上最年少で担当。その後も、2005年に映画『自由戀愛』、2006年にNHK土曜ドラマ『氷壁』、2007年に映画「魍魎の匣」。 2008年には映画『クライマーズ・ハイ』、NHK連続テレビ小説「だんだん」、2009年1月公開の映画「誰も守ってくれない」など数多くの映画、ドラマ音楽を担当している。 その他にもミュージカルの編曲や、上松美香、高嶋ちさこ、高木綾子、神谷百子など数多くのアーティストに楽曲を提供しプロデューサー、ピアニストとしても活躍。
 

武田修宏さんからのメッセージ

武田修宏/サッカー解説者浜松の素晴らしさは、1番は、浜松で生まれた自分にとって昔からある伝統的なお祭り、浜松まつりかな。小学校の頃から、昼は中田島砂丘で凧揚げ合戦、夜は華やかな屋台引き。浜松の人の気質は、豪快で、明るく、負けず嫌い。行動力は、浜松まつりで培われたものなのかなあと思い、浜松まつりをあげました。
2番目は、自然かな。海は、中田島砂丘で「浜松の小学校時代の遠足の定番」、湖は、浜名湖、川は天竜川と自然の中で育てられた感じがします。特に、今でも、夏に浜松に帰り、伝統的な浜名湖のたきや漁に行き、楽しんだり、浜松のお勧めとして、番組や雑誌では必ず推薦しています。
3番目最後は、浜名湖のうなぎ。小学校の頃から、よく食べていました。特にこれからの季節は体力的にウナギを食べて、力をつけないと暑い夏は、乗り越えられないと思い浜名湖のうなぎをあげました。浜松には、素晴らしい大自然、おいしいグルメがあり、明るく負けず嫌いの優しい人々がいます。
ぜひ浜松を旅してください。
武田修宏/サッカー解説者

■出身地
静岡県浜松市
■略歴
静岡県立清水東高校卒業。
高校1年時に全国高等学校サッカー選手権大会静岡県予選で9得点を挙げ、得点王とMVPを獲得。全国大会では、5得点を挙げる活躍で、準優勝に貢献。
高校卒業後の1986年、日本サッカーリーグ1部の読売サッカークラブへ入団。入団初年度からフォワードのポジションを獲得し、新人で11得点を挙げる活躍で新人王を獲得、リーグ優勝に貢献した。その後、日本代表選手として活躍し、Jリーグ創設後は、三浦和良選手、ラモス瑠偉選手、北澤豪選手らとともに、ヴェルディ川崎の黄金時代を支えた。
サッカー選手としての現役引退後は、サッカー解説者を務める他、テレビのバラエティ番組等でタレントとしても活躍している。

与良正男さんからのメッセージ

武田修宏/サッカー解説者
先日、静岡市で開かれたある催しで、政治の状況などについておしゃべりする機会がありました。事前の予告をどこかで見つけてくれたのでしょう。会場に足を運んでくれた高校時代(磐田南高校)の同級生と三十数年ぶりに再会することができました。
山本祐治君。地元・浜松に根をはってミュージカル「本田宗一郎物語」や「秋野不矩物語」の作編曲を手がけているギタリストです。高校時代、私は教科書は学校のロッカーに保管して、エレキギターのケースを抱えて毎日登校するような生徒でした。そして三年間、一緒にロック・バンドを組んでいたのが山本君でした。
今、私がテレビにコメンテーターとして出演する際、「大のロック好き」とか「自らピアノやギターを演奏」とかテロップが出ますけれど、「ロックおじさん」の原点は高校時代にあったというわけです。あの時、私は山本君のギターを聴き、「上には上がいるなあ」と、結局、音楽の道に進むのはあきらめて、新聞記者になりましたが、「音楽のまち」で育ったことが、やはり、今の自分に大きな影響を与えているように思えます。
浜松ではクラシックからフォーク、ロックまでさまざまな音楽イベントが市民の手作りで開催されています。私は浜松にすばらしい友人たちがたくさんいることと同時に、それを誇りに思っています。是非、「音楽のまち」から「音楽の都」に。
与良正男/ 毎日新聞論説委員、テレビコメンテーター

■出身地
静岡県浜松市
■略歴
静岡県立磐田南高校、名古屋大学文学部卒。1981年、毎日新聞社入社。中部本社報道部から89年東京本社政治部。官邸、自民党、野党、外務省各担当キャップ、政治部デスクを経て、04年から現職の論説委員。
毎日新聞の社説や週一回のコラム(発信箱)などを担当。現在早稲田大学大学院公共経営研究科客員教授。21世紀臨調運営委員。TBSテレビ「みのもんたの朝ズバッ!」などでテレビコメンテーターを務める。
 

嵐山光三郎さんからのメッセージ

嵐山光三郎/作家、エッセイスト
嵐山の提案です。

1 「小さな旅」。浜名湖周辺、遠州灘など浜松には観光資源がいっぱいある。浜松の「小さな旅」を企画して下さい。花と川と食べ物のハイキング。

2 モザイカルチャーのミニ版(家庭用)を作って欲しい。家の庭、マンションのベランダで楽しめる小型モザイカルチャー(セット)を普及させる。デザインは、シンプルなものに含めて、バイク、ピアノ、ぎょうざ、ロボット、カツドン、椅子、仏像、富士山などいろいろ雑多なバラエティーを入れる。家庭用モザイカルチャー作品コンテストをする。秋の菊花展に浜松ならではのモザイカルチャー菊人形を作りましょう。

3 浜松の駅弁改良。浜松の駅弁はうまくない。これぞ日本一という浜松駅弁名品を作って、浜松弁当であっと言わせる。

以上、思いつくままに、書いてみました。皆様の御健闘をお祈りします。
嵐山光三郎/ 作家、エッセイスト

■出身地
静岡県浜松市
■略歴
1942年(昭和17年)1月10日生まれ。
1965年に国学院大学文学部国文科を卒業。同年平凡社に入社。平凡社で『別冊太陽』と『太陽』のそれぞれ編集長を務める。1981年に独立し、青人社を設立。『素人庖丁記』により講談社エッセイ賞受賞。『芭蕉の誘惑』によりJTB紀行文学大賞受賞。日々、食と旅、文書耽溺、温泉行で暮らす。特に食と旅に関する身を饗しての取材専心と文献探索は余人の追随を許さぬ鬼気迫るものがある。東京中の寿司を食べ歩きつくしての奇書『江戸前寿司一の一の店を行く』の他に小社判の話題作として『おはよう!ヨシ子さん』『「進歩的文化人」のススメ』『不良定年』『とっておきの銀座』がある。長年の編著の末に到達した芭蕉像を描いた『悪党芭蕉』で、泉鏡花文学賞、読売文学賞をダブル受賞。
 
 

秋山俊雄さんからのメッセージ

秋山俊雅/医師
「ローチェスター市での偶然な出会い」
 
1968年6月よりニューヨーク州北部のローチェスター総合病院にて私の1年目の内科研修が始まりました。その年の10月下旬のある日の昼過ぎ、内科病棟で勤務中の私に訪問者がありました。その人は日本人らしき40歳台の紳士であり、「私は、仁瓶禮之と申すものですが、秋山先生でしょうか。」と挨拶されました。その時迄の4ヶ月間日本人に会う機会が全くなかった為に、日本語での返答の言葉が咄嗟に出ず、困ったことを憶えています。その後、仁瓶先生、奥様の頌子様、そして御子様方と、私と妻の明子(翌年結婚しました)は、親しく交際させて頂きました。仁瓶先生のお母様は、浜松地域の人々の医療に尽くされた女医さんでした。仁瓶先生は、名古屋大学日比野内科教室にて博士号を授与された数年後渡米され、まずバッファロー市で1年目の内科研修をおえられ、その翌年内分泌学研究員としてローチェスター総合病院に赴任されました。そのお蔭で、私は仁瓶先生にお会いする機会に恵まれた訳でした。仁瓶先生は、更に1年、ニューヨーク市にて研究に従事された後、名古屋大学に戻られ、まもなく新設が決まった浜松医科大学内科助教授に就任されました。私がアメリカで出会った日本人のうちで、誇り高き日本人としてアメリカの大学人や一般人と対等に交際ができたのは、仁瓶先生だけでした。先生は、やらまいか精神の純粋な結晶のように輝いておられました。
秋山俊雄/ 医師

■出身地
静岡県静岡市(旧清水市)
■略歴
1941年(昭和16年)3月10日生。
米国在住。京都府立医科大学卒。ローチェスター大学内科学教授(心臓学)、コバンス社心臓血管科部長等を歴任。1996年から2006年までローチェスター市・浜松市姉妹都市提携委員会委員長。浜松医療センター、浜松医科大学、聖隷浜松病院で医療・医学教育等の講演を行うなど日米の医療分野で幅広い活動を行っている。米国、日本、ヨーロッパの医学専門誌に165編発表し、米国と日本の内科書の分担執筆も多数。
 

國松孝次さんからのメッセージ

國松孝次/NPO法人理事長
やらまいか精神とドクターヘリ

浜松人気質を代表する「やらまいか」は、当世風に言い換えると、「チャレンジ」という言葉が一番近いのだろうが、単に挑戦するというだけでなく、もうひとつ、人に先んじて行なうという「進取の気性」の要素が加味していると思う。
まだ、他の誰もやっていないことに、リスクを恐れず、敢然として立ち向かう―この「やらまいか」精神で、高柳健次郎博士も本田宗一郎さんも古橋廣之進さんも、世界に冠たる偉業を達成し、故郷浜松の誇りとなった。
今、「やらまいか」精神を具現するものに何があるか。あまり多くの人は気付いていないかもしれないが、私は、そのひとつに、聖隷三方が原病院の運航する「ドクターヘリ」があると思う。
「ドクターヘリ」は、医師がヘリコプターに搭乗して救急の現場に急行する仕組み。導入すれば、救命率の飛躍的な向上を図ることが出来る。ただ、運航費用がかさむなど、様々な隘路があって、残念ながら、現時点で、全国16の道府県にしか配備されていない。
聖隷三方が原病院の救急医療は、既に平成13年から、全国に先駆けて、ドクターヘリを導入している。正に、「やらまいか」精神の発露である。ドクターヘリのおかげで、浜松地域では、ドクターヘリがなければ助からなかった多くの人の命が救われている。
これは、浜松人が大いに誇っていいことではないか。
國松孝次/NPO法人理事長

■出身地
静岡県浜松市
■略歴
静岡県立浜松西高等学校卒業、東京大学法学部卒業
1961年4月、警察庁入庁後、兵庫県捜査第二課長、警視庁本富士警察署長、在日本国大使館一等書記官、内閣官房長官秘書官、大分・兵庫各県警察本部長、警察庁刑事局長などを経て、1994年7月、警察庁長官に就任。1997年3月退官後、1998年1月、自動車安全運転センター理事長、1999年9月、駐スイス兼駐リヒテンシュタイン日本国大使を務め、2002年11月 帰国。現在、認定NPO法人「救急ヘリ病院ネットワーク」理事長、財団法人「犯罪者被害救援基金」常務理事、日本郵船社外監査役などを務める。
 

須川展也さんからのメッセージ

須川展也/サクソフォン奏者 私は浜松市で幼少から高校卒業まで育ちました。浜松の良好な気候、豊かな自然のおかげで感受性も育ち音楽家としてもそれを生かせていると思っています。
今の私の活動の背景にあるのは浜松の誇る会社の一つ、ヤマハ株式会社の存在が大きいです。私はヤマハのサクソフォンに携わるだけではなく、最近はヤマハ吹奏楽団の指揮者としても音楽の魅力を浜松から世界へ向けて発信しようと頑張っているところです。「やらまいか大使」としての使命を生かすチャンスでもあります。
さて浜松の魅力はズバリ「祭り」にあると思っています。5月の連休に行われる「浜松まつり」は凧揚げとそれに華を添える「凧ラッパ」というラッパ隊の熱気にあふれた音色のおかげで、「浜松まつり」は日本の祭りの中でも盛り上がる大きなお祭りの一つだと思います。この街で仕事や学業に真面目に取り組み、豊かな感情を育み、そして祭りでエネルギーを出し切る、という良いライフサイクルが、浜松のエネルギーの源になっていると思います。
浜松市は、豊かな自然と共に、農業から工業まで全ての存在を活性化させています。それを日本中の都市・地域に向けてアピールしつづけている街だと思っております。浜松市の素晴らしさはどんなに語っても語り尽くせませんが、このバランスの取れた街が人間の心を豊かにする、ということは間違いないと思います。そんな浜松市の魅力を今後も張り切って伝えていきたいと思います。
 
須川展也/サクソフォン奏者

■出身地
静岡県浜松市
■略歴
1961年(昭和36年)7月25日生。
静岡県立浜松北高等学校卒業、東京藝術大学卒業。
第51回日本音楽コンクール管楽器部門1位なしの2位、第1回日本管打楽器コンクール・サクソフォン部門において第1位を得てデビュー。94年村松賞、出光音楽賞受賞。98年JTのCMに出演し人気を得る。メディアに多数出演し、02年4月よりNHK連続テレビ小説『さくら』のテーマ音楽も演奏。年間公演数は約100。海外でも精力的に活動しフランス、イギリス、ドイツ、アメリカ、カナダ、中国、韓国等多くの国で演奏している。03年ウィーン・ムジークフェラインでのリサイタルが大成功をおさめる。近年作曲家への委嘱も積極的に行い、吉松隆、西村朗、本多俊之、E.グレッグソン、真島俊夫、M.エレビー各氏等に依頼、サクソフォン音楽の発展に力を注いでいる。
クラシック・サクソフォンの可能性を追求し自由なスタンスで活動、サクソフォンを学ぶ若者たちの憧れの存在となっている。
 

石川エツオさんからのメッセージ

石川エツオ/外国法事務弁護士私がブラジルを離れ、家族と共に日本へやってきたのは、今から20年ほど前でした。
初めは、知人が浜松で暮らしているというだけの簡単な理由で、私たち家族も、ここ浜松で暮らしていくことになりました。今現在、その頃から20年以上経ちますが、未だに、浜松を離れたことがありません。今でこそ、2万人のブラジル人が浜松にいると言われていますが、当時、私たちが浜松に来た頃は、知り合いも含め、ブラジル人はごくわずかでした。それでもなお、私が今日までやってこれたのも、浜松という街で暮らしてきたからこそだと思います。浜松の文化、人の温かさ、環境的な住みやすさも含め、浜松の街が、とても魅力的であるからこそ、今の私があり、浜松の街には感謝の気持ちでいっぱいであります。
また、2万人のブラジル人が浜松に集まるのもそういった理由の一つであり、浜松が全体的に国際化している証でもあります。それにともない、今まで以上にお互いの国や文化を知っていくことが必要になっていきますし、そのような共生社会を築いていくことが私の役割だと考えています。将来的には、浜松に住む外国人を、「外国人」という枠ではなく、「浜松市民」として考えられるよう、浜松に住む全ての人々との共生社会を目指して、みなさんで、浜松をより魅力的な街にしていきましょう。「浜松」はそれが実現可能な街です!浜松から世界へ!
 
石川エツオ/外国法事務弁護士

■出身地
サンパウロ州バルパライーゾ市

■略歴
1961年(昭和36年)6月25日生。
ブラジル・サンパウロ州のムジダスクルゼス総合大学法学部卒。
日本で唯一のブラジル国籍の法務省公認外国人弁護士。15年以上前から住む、浜松市を本拠地に、日伯のパイプ役として活躍。現在浜松ブラジル協会代表であり、2008年にはブラジル移民100周年記念事業実行委員長を務めるなど、幅広い活動を行っている。
 
 

野嶋栄一郎さんからのメッセージ

野嶋栄一郎/早稲田大学常任理事、早稲田大学人間科学学術院教授、早稲田高等学校理事長いつの間にか60歳を越える年齢になり、浜松在住の幼な友達と年に一回位会う機会がある。そのたびに、友達の話の輪の中に入っていけず、真底羨ましいなと思うことがある。
春夏秋冬の自然の中で、春は春ぜみや山つつじの里にわけ入り、夏は浜名湖ではぜを釣り、ちぬを釣り、秋はたわわに実った栗やぶどうや、次郎柿に舌鼓を打ち、冬はぽかぽかと暖かい縁側で猫や犬とうたた寝をする。
このような自然を持ちながら、街自体は、公害の少ない工業都市として発展をとげている。浜松の素晴らしさは、自然と工業都市の調和の中にある。
このような中にあって、浜松は個性的で独立傾向の強い人材を輩出しているところに強みがある。
 
野嶋栄一郎/早稲田大学常任理事、早稲田大学人間科学学術院教授、早稲田高等学校理事長

■出身地
静岡県浜松市

■略歴
1946年(昭和21年)9月18日生。
浜松北高等学校卒業、早稲田大学第一文学部卒業、早稲田大学大学院文学研究科終了、博士(人間学)。1987年4月より早稲田大学人間科学部助教授を務める。1992年4月より早稲田大学人間科学部教授となり、2000年9月には早稲田大学人間科学部長を歴任。学部改組により、2004年9月より早稲田大学人間科学学術院教授、2006年11月より早稲田大学常任理事、2007年1月より早稲田高等学校理事長を務める。
 

天玲美音さんからのメッセージ

天玲美音/宝塚歌劇団宙組所属
浜松・・・私が生まれ育ったまち
時代の流れと共に変わり行く風景もあれば、小さい頃から変わらず私を迎えてくれるまち並みもあり、そこにはどこかのどかな空気が流れています!
まず浜松駅に着くと、“音楽のまち”を象徴するハーモニカの形をしたアクトタワーがあります。一歩まちを離れると、海も山もあり、そっと耳を傾けてみると浜松の自然が奏でる様々なメロディーが聞こえてきます♪
そして、政令指定都市になって、宝塚の「すみれの花咲く頃」を作られたレビューの王様、白井鐡三先生の故郷春野町も浜松になりましたので、春野町のことももっとたくさんの方に知っていただけるのではないかと思っています。
これからもっともっと私自身色々なかたちで浜松の魅力を伝えていけたらいいなあと考えています☆
天玲美音/宝塚歌劇団宙組所属

■出身地
静岡県浜松市

■略歴
浜松学芸高等学校卒業後、宝塚音楽学校を経て同劇団に入団。2005年5月より宝塚歌劇団宙組に所属し、若手男役として活躍中。

筧 利夫さんからのメッセージ

筧 利夫/俳優
静岡県立森林公園。
みんな知ってますよね・・・
浜松の人で行ったことのない人いないよね・・・
え?知ってるけど行ったことない?
だめですよーあそこは週末必ず行かなきゃ!
家族で行かなきゃ!楽しいから!
悩んだときは平日会社サボって行かなきゃ!
おにぎり持って自然の中を何時間も歩かなきゃ。
ところどころに自販なんてないから水も持っていかなきゃ。
端から端まで歩いたらどれだけかかるんだろう。
ドンだけ広いのよ森林公園!!!
行ってみればわかるからホント。
途中アスレチックがあったりして、
ちょっとやってみたりなんかしちゃって。
子供のバランス感覚すごいんだなーなんて改めてわかっちゃったりして。
でね、でね、
森林公園には泊まれる施設もあるのよ。
僕、泊ったことあるのよ。
食事は隣にあるレストラン。
ビール飲んでバーグ食べて。
散々歩いた後だから最高だったよー。 
。о@(^ o^)@о。 満足じゃー!
とにかく行ってみなさいよ。
元気になるから。
筧 利夫/俳優

■出身地
静岡県浜松市

■略歴
1962年(昭和37年)8月10日生。
浜松東高等学校卒業、大阪芸術大学舞台芸術学科卒。
大学卒業後、鴻上尚史主宰の劇団第三舞台に所属し、劇団の看板役者として活躍。
その後、映画、テレビドラマやバラエティ番組に出演し、人気タレントとして幅広いジャンルで活躍している。
主な出演作品は、「踊る大捜査線」、「ルーキー!」、「やまとなでしこ」、「Dr.コトー診療所」、「交渉人」等。NHKスポーツドキュメンタリーなどでナレーターも担当している。
 

西條キロクさんからのメッセージ

西條キロク/作曲家
 日本の真ん中「浜松」、音楽と楽器の街「はままつ」、大好きな我・故郷「HAMAMATSU」。
曲作り屋「西條キロク」の詩作りのペンネームは、本籍地の「浜松雄踏」。
生まれ育った故郷の歌を発表出来るのは、光栄であり、果報者であり、そして快感です。

「誘われて浜松」(歌・三沢あけみ)
※何処か似た様な うしろ姿
 捜す鍛冶町 広小路・・・
 未練が言わせた 言葉が憎い
 浜松、はままつ、逢いたくて浜松
 
 この作品「誘われて浜松」は、全国から予選を勝ち抜いた約30名が来浜し、ハマ・ホールにて三沢あけみさんを迎え、盛大にカラオケ決勝大会が開催されたり、同名の菓子が春華堂から発表されたり、今年(2010年)、新年早々舘山寺に豪華な歌碑が建立されたり、沢山の皆様から御支援を頂き大変なパワーを授かりました。

「ふたゝび浜松」(歌・喜多見ゆり)
※ふたりの出逢い 有楽街
 想い出捜して 天浜線に乗る・・・。
 小雨の浜松、はぐれ道
 相合傘の舘山寺
 濡れて泣きたい、濡れて泣きたい浜名湖しぐれ。

 「流行歌」、誰が命名したか?は吝かでないが、言い得て妙である。読んで字の如し「流れ行く歌」であるが、旧くは「はやり歌」と言われていたらしい。
 上記の2作は、小生の作詞・作曲でありますが、願わくば沢山の皆様から御声援と御尽力を戴き「流行歌」でなく時代に流されない「不流行歌」であって欲しいと祈念しています。
 どうぞ末永くご愛唱して下さい。
 我・ふるさと「浜松よ、有難う!有難う!!」
 
西條キロク/作曲家

■出身地
静岡県浜松市(雄踏町西ヶ崎)

■略歴
ピアノ調律師として?河合楽器製作所に勤務。その後、船橋へ移り“さかした音工”を設立。後に作曲家となり現在に至る。
五木ひろしや八代亜紀などの作品を多く手掛ける。天童よしみ「夜明け」、森進一「終列車」、「雨の空港」等ヒット作は多数。2008年(平成20年)、ご当地ソング「誘われて浜松」(歌・三沢あけみ)を発表。また、2010年(平成22年)、ご当地ソング第2弾として「ふたゝび浜松」を発表する。
SBSラジオの「西條キロクの部屋」(毎週日曜18:00)は、昭和53年4月よりスタートし、現在も続いている人気番組。2006年(平成18年)から浜松市やらまいか大使を務めている。
 
 

橋本元一さんからのメッセージ

橋本元一/元日本放送協会会長
「浜松の魅力」

浜松の魅力は限りない。明るい太陽の下、山あり海あり湖ありの明媚な風光。名所旧跡あり伝統行事ありで観光資源も盛り沢山。気候温暖で農水産物にも恵まれています。僭越ながら浜松市の「やらまいか大使」を務めていますので、機会ある毎に浜松のPRをしていますがネタには事欠きません。
しかし、それ以上に浜松について誇れるものはチャレンジ精神だと思います。私の少年時代には、当地特有の工業生産が活発で、浜松の街は活気に満ち溢れていました。この地から輩出した先駆者達の旺盛な「やらまいか魂」、すなわち「成せば成る」チャレンジ精神によって起業されたケースは枚挙にいとまもありません。今に残されている産業や文化資産は、先人の強靭な意志と弛まぬ努力から生まれたものです。少年時代に培われたチャレンジ精神は今でも私の中で息づいています。
昨年秋、「ものつくりと日本」をテーマとしたパネルディスカッションが浜松市で開かれました。私はモデレーターを務めましたが、世界的に活躍するスズキ株式会社の鈴木修会長兼社長も参加して下さり、予定参加者をはるかに超える700名もの聴講者で大盛況でした。この場では、往年の「やらまいか」が現在まで溢れている都市だなと改めて感心しました。「ものつくり」環境を浜松の地域全体が支えています。「ものつくり」パワーの原点「チャレンジ精神」が、今、日本各地から海外まで広くお役に立てること間違いなしと思います。
橋本元一/元日本放送協会会長

■出身地
静岡県浜松市

■略歴
1943年10月13日生。静岡県立浜松北高等学校、東京工業大学理工学部卒業。
1968年に日本放送協会(NHK)に入局。2001年には、技術局長に就任し、2004年には、専務理事・技師長に就任。その後、2005年には、NHK初の技術局出身者として第18代NHK会長に就任した。
2008年1月にNHK会長を退任。

渥美雅子さんからのメッセージ

渥美雅子/弁護士
 JR東海の新幹線で浜松方面に出かける時、それだけで心が躍る。車窓から富士山が見え、茶畑が見え、浜名湖が見え、弁天島の赤い鳥居が見える。浜名湖の鉄橋の上では新幹線どうしがよくすれ違う。1日何回すれ違うのか、ダイヤを仔細に調べれば自ら割り出せるのではあろうけれど、まだやったことはない。一度市民にそんなクイズを出してみてはどうだろうか。
 クイズをもうひとつ。上りの新幹線で富士山が右側に見える地点がある。どこか。答えを言ってしまおう。安倍川を渡って静岡駅に向かう、そのほんの一瞬である。つまり東に向かっている列車が駿河湾沿いに北上する、その10秒ぐらいの間、富士山は確かに右に見えるのである。私はその富士を見る為に上りの切符は必ず右側の席を取る。これは郷里が浜松でなかったら、静岡県でなかったら味わえない感動であろう。
 最近、浜松の有難さをしみじみ感じているのはスカーレットみかんである。みかんは伊予みかん、紀州和歌山のみかんなど産地は様々あるがスカーレットは甘さが違う。だからお歳暮はすべてこのみかんにする。浜松市浜北区貴布祢に夫の姉が住んでいるので、1年前から姉に頼んでおいて友人・知人に送ってもらうが、皆このみかんの甘さにびっくり仰天している様子がよくわかる。そして礼状の中に<もし来年もいただけるものなら是非このみかんを>等と書いてくる厚かましい族も居る。
渥美雅子/弁護士

■出身地
静岡県浜松市

■略歴
1963年中央大学法学部卒業
1966年より弁護士開業。
多彩な弁護士活動の中でも家族、相続、
DV(ドメスティックバイオレンス)等の問題を得意としている。また、講演や執筆活動など幅広く活躍中。
現在、女性と仕事の未来館館長、高齢社会をよくする女性の会監事、千葉県人権問題懇話会委員、千葉県公害審査会委員、ほかを歴任。

2005
年男女共同参画社会づくり功労者内閣総理大臣表彰。
プライベートでは以前から親しくされていた講談師の宝井琴梅(たからい きんばい)・琴嶺(きんれい)先生の協力を得て、199711月渥美講談塾を開設。法律事務所の会議室に手作りで高座を作る。塾生も30名程集まり、ボランティアで老人施設などを慰問している。高座名は渥美右桜左桜(あつみ うおうさおう)。

瀧川鯉昇さんからのメッセージ

瀧川鯉昇/落語家
「寸法」という言葉がある。
“ここち良さ”のことである。
私は浜松で生まれ育ってメモリを刻んだのだから、故郷帰りをすれば、居ごこち、寝ごこち、着ごこち、食べごこち、酔いごこち、ころびごこちまで、ピタッと寸法にはまるわけである。
旅または転勤で、浜松の風にあたり、水を飲んだことのある人に会うと「浜松はいいね。ゆっくり生活してみたいところだね。」と、よく言われる。
からっ風と、あたたかさ、浜松の物指しはかなり伸び縮みをする。幅の広さがあるようだ。
せめて一泊してもらえると、多くの旅人にも自分の寸法に合ったここち良さを味わってもらえる街であると思っている。
瀧川鯉昇/落語家

■出身地
静岡県浜松市

■略歴
1953年(昭和28年)2月11日
静岡県立浜松西高等学校、明治大学農学部卒業。
1974年4月、8代目春風亭小柳枝に入門、柳若(りゅうじゃく)となる。
1977年2月、5代目春風亭柳昇門下となる。
1980年2月、二つ目昇進。愛嬌(あいきょう)となる。
1990年5月、真打昇進。春風亭鯉昇となる。
2005年1月、亭号を改め、「瀧川鯉昇」となる。
<受賞歴>
1983年、「NHK新人落語コンクール」最優秀賞受賞
1996年、「文化庁主催51回芸術祭」優秀賞受賞
2002年、浜松ゆかりの芸術家 顕彰
2007年から浜松市やらまいか大使

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